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勝山の歴史

江戸時代

勝山は江戸時代の元禄年間創業以来、320年以上仙台を代表する銘酒醸造元としてその歴史と伝統を今日まで連綿と受け継いで参りました。

「勝山」の名の由来には二つあり、一つは侍に「勝ち星を山のように取る」と縁起を担ぐという説と、もう一つは江戸時代初期の女性達の間で一世風靡した華やかな武家風の髷(まげ)その名も「勝山髷」。当時の女性のハイセンスなファッションをお酒の名に冠したという説があります。

明治-大正時代

当蔵元の迎賓館として「勝山館(しょうざんかん)」がございました。仙台の文化サロンとして、また園遊会や仙台出身者の書画会や仙台の各界の名士の社交の場となっておりました。

明治32年、七代目平蔵が仙台酒造組合初代組合長に就任し、東北で初めて酒母の速醸実験を行ったのが勝山でした。

仙台に鉄道が敷かれた間もない時代に、勝山が宮城県から初めて東京へ出荷し販売された最初の日本酒となりました。

大正13年には八代目平左衛門が宮城県酒造組合二代会長に就任。「勝山館」は宮様方のご来仙の際の指定宿泊先となり、「おもてなし」を通じて仙台の「美酒・美食」を提供する大役をこなして参りました。

「元祖たまご酒」はこの当時の女性達に愛されていた味をそのままに再現したまさに19世紀の仙台城下町の味を体験出来るリキュール酒です。

昭和-平成時代

戦後の勝山を支えたのが名杜氏の誉れが高い照井円五郎でした。照井円五郎は当時の南部杜氏協会の会長を務め、南部杜氏の技術力を全国に轟かせた立役者でもあり、全国清酒鑑評会において昭和30年と32年には全国第一位の栄誉に輝きました。

昭和44年、11代目平一は仙台に進出していた上野精養軒より営業譲渡を受け、仙台精養軒としてレストラン事業を始めました。

日本酒が洋食と共にテーブルに供されるようになり、和食だけではなく、西洋化した日本人のあたらしい食の形のなかでの日本酒の酒質と味のあり方について研究を始め「献勝山」を発売しました。後に「献勝山」は本醸造に吟醸酒を調合し、山田錦を使用。「献勝山」は勝山の昭和時代の大ヒット商品となりました。

昭和56年、11代目平一が宮城県酒造組合 10代会長に就任後、宮城県酒造組合の会長として昭和61年夏に「ササニシキ100%純米酒」を宮城県全蔵で取り組むよう働きかけ、宮城の酒の高品質化に全蔵一丸で取組みを始めました。酒質の向上こそ日本酒の生き残る道であるという持論を力説しました。

その甲斐あって、全国新酒鑑評会において昭和50年代から昭和の終わり迄に6回、平成元年から平成17年までに8回、計14回の金賞を受賞しており、名実共に現代の仙台を代表する蔵として仙台伊達家御用蔵の名に恥じない本醸造以上の特定名称酒のみを醸して参りました。

新生勝山-その先へ

酒蔵を仙台市青葉区上杉の地から、勝山の仕込み水の水源のある上杉から北西の泉ヶ岳の麓へ移転。

それまで特定名称酒のみの生産で1500石あった生産量を300石へ減産し、銘柄も「暁・伝・献・縁」の4アイテムに集約。仕込みを三季醸造の1週間に仕込みタンク1本という贅沢な純米酒以上の高級酒のみを醸す専用の蔵を設計し、全ての工程で徹底した温度管理のもとに精密な造りを実現しました。

また、日本にも数台しか無い「遠心分離器」を導入し、究極の食中酒として勝山最高級酒「暁」に採用しました。2010年濃厚な料理やデザートに合う「元」をリリース。2012オードブルや肉料理に相性がいい底アルコールの「䴇」を新たにリリースしました。

その後、数々の賞を受賞し2015年にはSAKE COMPETITION2015にて「献」が全国1位に輝き、同年、第17回宮城県清酒鑑評会にて消費者が最も美味しいお酒として選ぶサポーターズ・セレクションにおいて「縁」「戦勝政宗」がダブルで金賞受賞いたしました。

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